奈良地方裁判所 昭和62年(行ウ)7号 判決 1990年4月25日
原告
学校法人奈良学園
右代表者理事
伊瀬敏郎
右訴訟代理人弁護士
木下肇
同
土谷明
同
中本勝
被告
奈良県地方労働委員会
右代表者会長
本家重忠
右指定代理人
北島秀好
同
村井幸雄
同
笠谷哲也
右訴訟代理人弁護士
佐藤公一
被告補助参加人
大阪私学教職員組合奈良学園分会こと奈良学園教職員組合
右代表者執行委員長
小松英喜
右訴訟代理人弁護士
松岡康毅
同
峯田勝次
同
相良博美
同
坪田康男
主文
一 被告が奈労委昭和六〇年不第二号奈良学園不当労働行為救済申立事件について昭和六二年一一月一六日付でした命令中主文一項のうち「被申立人は、大阪私学教職員組合の役員が参加するとの理由により、組合員の個別的な労働条件、処遇について申立人組合の申し入れた団体交渉を拒否してはならない。」との部分を取り消す。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が奈労委昭和六〇年不第二号奈良学園不当労働行為救済申立事件について昭和六二年一一月一六日付でした命令中主文第一項ないし第三項を取り消す。
第二事案の概要
一 争いのない事実
原告は、教育事業を営むことを目的として設立された学校法人である。
大阪私学教職員組合奈良学園分会こと奈良学園教職員組合(補助参加人)は、原告に勤務する教職員で構成される労働組合と称して、原告を被申立人として、被告に対し不当労働行為救済の申立(以下「本件救済申立」という。)(奈労委昭和六〇年不第二号事件)をしたところ、被告は、昭和六二年一一月一六日、別紙命令書のとおり救済命令(以下「本件命令」という。)を発し、本件命令は同日原告に交付された。
二 争点
本件の争点は、原告の主張する、次の本件命令の違法事由の有無である。
1 当事者適格について
原告が従来交渉相手としてきたのは、企業内の単一組合としての奈良学園教職員組合であって、大阪私学教職員組合奈良学園分会としての奈良学園教職員組合ではない。したがって、大阪私学教職員組合奈良学園分会名義でなされた本件救済申立は、当事者適格を欠き不適法であるのに、本件命令は実質判断を行い救済申立を認めている。
2 団体交渉拒否について
(一) いわゆる植田処分の発令前後の団体交渉を正当な理由がなくて拒んだと判断したのは違法である。
(二) 大阪私学教職員組合(以下「大私教」という。)参加の団体交渉を正当な理由がなくて拒んだと判断したのは違法である。
(三) 原告の書面による回答について、原告が誠意をもって交渉義務を尽くしたとはいえないと判断したのは違法である。
(四) 原告のベースアップについての人勧準拠の回答について、原告が誠意をもって交渉義務を尽くしたとはいえないと判断したのは違法である。
3 高校訪問について
(一) 高校訪問は、原告が短大への入学志願者を募集するために行っている広報活動の一つであり営業的行為である。したがって、具体的な訪問担当者の委嘱は高校訪問の目的を達成するためには、誰をどの地域に担当してもらうのが望ましいかという合目的的考慮から適材適所主義で行われるものであるところ、藤善及び植田が高校訪問を担当しなくなったのは右理由によるものであり、組合員であることを理由とするものではない。
(二) 高校訪問を担当することによって、昇給、昇格、給与等労働条件において何ら有利となるものではなく、これを担当しなくても何ら不利益となるものではない。したがって、高校訪問の委嘱については差別的取扱の対象にはならず、また、これをもって組合に対する支配介入の手段となるものではない。
4 支配介入発言について
本件命令は、原告理事長の、昭和五九年一〇月二四日の三役交渉の席における、奈良学園教職員組合(以下「組合」という。)を暗に非難する発言(<証拠略>)、昭和六〇年三月二九日の高校職員会議の席における同趣旨の発言(同<3>)、昭和五九年から昭和六〇年にかけての教授会や組合との交渉の席における、組合活動により受験生が減少したとの非難の発言(同<5>)を認定しているが、原告理事長はそのような発言はしておらず、右事実認定は違法である。
5 主文の抽象性について
本件命令の主文一項後段、二項、三項、の文言は抽象的であるところ、このような抽象的不作為命令は、制裁の裏付けをもった法規を設定することに等しいから労働委員会の権限を超えるものであり、また、その抽象的文言の判断が困難でその履行に著しい弊害を生じるものであるから、違法である。
第三争点に対する判断
一 当事者適格について
本件の不当労働行為救済申立書(昭和六〇年六月一〇日付)(乙一、以下書証の成立について記載のないものは、成立に争いがないか、あるいは弁論の全趣旨により成立を認めるものである。)をみると、申立人名は大阪私学教職員組合奈良学園分会となっているが、その主張中には、申立人分会は、昭和五二年五月八日結成され、原告に勤務する教職員で構成される労働組合であり、同月一九日原告に結成の通告をし、以来原告に設備改善・待遇改善を要求し一定の成果をあげてきたが、その活動を敵視する原告から数々の支配介入を受けてきたなどの記載があるところ、その組合規約(<証拠略>)と私大教の同規約(<証拠略>)の各規定内容を対比して検討しても、それのみでは右結成の組合と私大教との組織上の関連性を明確に確定するのは困難であるけれども、原告においては、労働組合が結成されて以来、二つ以上の労働組合が併存しながらそれぞれ原告と交渉し労働協約を締結してきたことはなく、実体上一つの労働組合が原告と交渉し労働協約を締結してきたのであって、原告がこれまで団体交渉をし労働協約を締結してきた一つの労働組合とは、昭和五二年五月八日結成され同月一九日原告に結成の通告がされた奈良学園教職員組合であること(<証拠略>)、申立人分会結成後間もないころに作成され学内の教職員に配布されたビラには、「大阪私学教職員組合・分会奈良学園教職員組合結成される」、「去る五月八日に組合は大阪私学教職員組合・分会として正式に発足し」等の文言が記載され、また、同じころ配布された別のビラには、「大阪私学教職員組合・分会奈良学園教職員組合の第一回定期総会開かれる」、「一九日竹村氏(理事)に組合結成通知を文書と口頭で正式に申入れた」等の文言が記載されていること(<証拠略>)、大阪私学教職員組合規約(<証拠略>)一〇条二項には、分会は学校名または学校法人名を冠する組合名を呼称することができる旨規定していることを総合考慮すると、大阪私学教職員組合奈良学園分会名で本件救済申立をした申立当事者は、原告がこれまで団体交渉をし労働協約を締結してきた奈良学園教職員組合であり、大阪私学教職員組合奈良学園分会は右奈良学園教職員組合の別称に過ぎないというべきである。
そうすると、奈良学園教職員組合は、原告との間で、原告による不当労働行為を主張して右不当労働行為からの救済を求める利益を有するというべきであるから、補助参加人に本件救済申立の申立適格を認めた本件命令に、原告主張の違法はない。
二 団交拒否について
1 人事に関する事項であることを理由とする団交拒否について
原告は、昭和六〇年三月一九日の植田問題を議題とした団体交渉において、補助参加人及び植田は原告の事実説明を一切聞こうとはせず、原告理事長の発言をさえぎり、「理事長の身辺全部を調べた」「全部バラしてやる」「私は取引に来ているのだ」等と不当な発言の限りを尽くして原告の事実説明を妨害したことから、原告は、植田問題について団交を持っても無意味であると判断し、団交を拒否したのは正当である、と主張する。しかし、植田が昭和六〇年四月一日付で短大付属研究所勤務を命ぜられた後、補助参加人が昭和六〇年四月六日にした植田問題についての団交申入に対し、原告は同月九日植田の付属研究所勤務発令は人事の適正配置であり団交の対象とは考えられないと文書回答し、さらに、補助参加人が同月二七日にした緊急を要する教職員の配置転換についての団交申入に対し、原告は同年五月一日人事に関することは団交の対象とは考えられないと文書回答した(<証拠略>)ものであるところ、特定の組合員の配転は、組合員の労働条件その他の待遇に関するものであって、団体交渉の対象となるというべきであるから、補助参加人の右団交申入に対し、人事の適正配置ないし人事に関することは団交の対象とは考えられないとして植田の配転につき団交を拒否した原告の行為は、原告の主張について判断するまでもなく、労組法七条二号に該当するものであり、本件命令の主文一項中「被申立人は、人事は交渉議題にはならないとの理由により、組合員の個別的な労働条件、処遇について申立人組合の申し入れた団体交渉を拒否してはならない。」との命令は適法であるというべきである。
2 大私教参加の団交拒否について
原告は、昭和六〇年二月一八日、組合の団体交渉の申入に対し、上部団体とは交渉しないとして大私教を加えた団体交渉を拒否し、それ以後も大私教参加の団体交渉を拒否している(弁論の全趣旨)。
この点につき、原告は、原告が補助参加人の役員との間で団体交渉を行うことは労使間の確立した慣行であり、原告が、補助参加人の大私教参加の団体交渉の申入に対し、大私教の参加を拒否し労使間の慣行に従って団体交渉をもつべき旨を主張したことは正当である、と主張する。これに対し、補助参加人は、組合結成後随時大私教役員が団交に出席してきたものであり原告主張の労使慣行は存在しない、また、補助参加人は分会であるから、原告と団体交渉を行う際、本部である大私教がこれに参加し得るのは当然である、と主張する。
そこで判断するに、まず、大私教が補助参加人と原告間の団体交渉に参加できるためには、大私教が補助参加人とともに原告と団体交渉を行い労働協約を締結する資格がなければならず、大私教が右の資格を有するというためには、大私教が補助参加人に対し実質的な統制力を有し、かつ、共同交渉に当たり、大私教、補助参加人間で交渉権限が統一されていることが必要であると解される。
右の点について検討するに、補助参加人は、補助参加人は大私教の分会として結成されたものであると主張するが、補助参加人及び大私教の規約(<証拠略>)をみると、大私教の補助参加人に対する実質的な統制力が存することを裏付ける規定はないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。したがって、大私教が分会である補助参加人の本部であるという理由で当然に原告と団体交渉を行う資格があるということはできない。また、右各規約をみても、大私教と補助参加人との間で交渉権限が統一されているともいえないし(昭和六一年改正後の補助参加人の規約三八条をもって両者間の交渉権限の分配を定めたものとは解されない。)他にこれを認めるに足りる証拠はない。
そうすると、大私教は、補助参加人とともに原告と団体交渉を行う権限を有するものではなく、したがって、他に特段の主張・立証のない本件では、原告が、大私教の役員が参加することを理由に補助参加人の団交申入を拒否したのは、正当な理由によるものであるから、被告が、右団交拒否を労組法七条二号の不当労働行為に該当するとして、原告に対し発した、大私教役員が参加することを理由として組合員の個別的な労働条件、処遇について補助参加人の申し入れた団体交渉を拒否してはならない旨の命令は違法であり、取消を免れないというべきである。
3 文書回答について
原告は、団体交渉は組合と使用者とが対等の立場で労働条件について互いに主張し合い説得に努めながら一定の妥協点に到達するための制度であるから、右制度の趣旨、目的にしたがって、事案に応じた有効適切な交渉がなされるべきであり労使間のやりとりの過程で書面による回答が含まれていたとしてもそれをもって交渉義務を尽くしていないとはいえない、と主張する。しかし、原告は、補助参加人と団体交渉をするに当たり、補助参加人の要求に対し、回答ないし反論をするのみならず、その論拠を示したり必要な資料を提示したりして説得に努めるべき誠実交渉義務があるというべきところ、別表記載の団体交渉の経緯(弁論の全趣旨)、特に、昭和五九年一〇月四日の団体交渉以降昭和六〇年五月二二日の団体交渉までの間、補助参加人の団交申入に対し、原告は団体交渉を二回開催したにすぎず、それ以外は四度にわたり文書により回答をしたこと、文書による回答の内容も補助参加人の要求に対する結論部分のみであること(<証拠略>)に照らすと、原告の右対応は到底誠実交渉義務を尽くしたとはいえないというべきであり、原告の主張は採用できない。
4 ベースアップについての人勧準拠の回答について
原告は、ベースアップの交渉については、原告と補助参加人との間では従前から一貫して毎年人事院勧告及び奈良県人事委員会勧告が出されるのを受けて、右勧告を基準に労使交渉のうえ妥結しているにもかかわらず、補助参加人は右勧告が出ていない段階でベースアップについての団交要求を行うものであって、これに対し、原告が、右勧告が出た時点で速やかに検討のうえ回答する旨答えても、誠実交渉義務に反しない、と主張する。しかし、昭和五六年度には、右勧告が出る以前に、ベースアップについて妥結していたこと(<証拠略>)、翌年度からは人勧準拠方式をとるに至ったが、人勧準拠方式によることの正当性、合理性について補助参加人は疑問を抱いているところ、その点につき論拠を示したり必要な資料を提示したりして説得に努めた形跡はないこと(<証拠略>)に照らすと、原告の対応は、誠実交渉義務を尽くしたとはいえず、原告の主張は採用できない。
三 高校訪問について
1 昭和五六年度から昭和五八年度まで、植田は京都府の、藤善は大阪府の高校訪問を担当したが、いずれも昭和五九年度以降は高校訪問を担当していない(争いがない)。原告は、その理由につき、植田については、昭和五五年富山県への高校訪問を行う際の旅費前渡金として二二万円を原告から預かりながら、その精算を行わず、原告が昭和五六年三月三一日付で貸付金に振り替え再三にわたり請求したにもかかわらずこれに応じず右金員を着服した形になったため、短大学長において高校訪問を担当するにふさわしくないと判断したからであり、藤善については、昭和五九年度に短大に毛利昭が教員として採用されたが、同人は大阪府立高校で長年教職にあり大阪府の高校教育界に精通しているので、藤善よりも大阪府の高校訪問に適任と判断し、同人を大阪府の高校訪問担当者にしたからであって、いずれも組合員であることを理由とするものではない、と主張する。
2 そこで判断するに、証拠(<証拠略>)によれば、原告では、短大学長と入試事務室が高校訪問の担当者及び担当地域を実質的に決定していたこと、昭和五九年五月末ころ、植田は中村短大学長と森塚入試事務室長の要請を受け、高校訪問について京都府の担当から滋賀県の担当に代わったこと、同年六月初め高校訪問の直前に、植田及び藤善は、それぞれ森塚入試事務室長から高校訪問を担当しなくてよい旨連絡を受けたこと、入試事務室で作成された昭和六〇年度の高校訪問担当者名簿には、昭和五九年度の滋賀の欄に植田と書かれて二本線で抹消されており、同年度の大阪の欄に木村、東、森本、毛利、町口、宮地、小黒、藤善とその順に書かれ、藤善の文字が二本線で抹消されていること、毛利昭は昭和五九年四月に教員として採用されたこと、原告では年度最初の高校訪問は六月に行われることが認められる。右事実から判断すると、植田については、仮に原告主張にかかる旅費の精算が未了であったとしても、それは昭和五五年のことであり、原告の主張するように高校訪問を担当するにふさわしくないという理由で高校訪問を担当させないのであればもっと早い時期に担当をはずしてしかるべきであるのに、昭和五九年度の高校訪問について、五月末ころには、植田が滋賀県の高校訪問を担当することが学長と入試事務室との間で一旦決定されていたものであって、原告主張の理由は説得力に欠けるといわざるを得ない。また、藤善についても、四月に教員として採用された毛利とともに大阪府の高校訪問を担当することが一旦決定されていたものであって、大阪府の高校訪問について藤善よりも毛利の方が適任であったから藤善を担当からはずしたという原告主張の理由は当を得たものとはいえない。
むしろ、昭和五九年六月一日、補助参加人の執行委員長藤善外執行委員四名が、前日の団体交渉における原告の回答に誠意が認められないとして理事長への抗議と理事長自身の真意を確認するため面談を求め理事長室に入室したこと、藤善は当時補助参加人の執行委員長であり、植田は補助参加人結成当初執行委員長であったこと、同年六月初めころ、森塚入試事務室長が植田及び藤善に高校訪問を担当しなくてよい旨連絡したが、それは理事長の指示によるものであったこと(<証拠略>)を併せ考えると、原告が植田及び藤善を高校訪問の担当からはずした決定的動機は、原告主張にかかる理由にあるというよりも、理事長が、補助参加人の右抗議行動を嫌悪し、その活動の中心的存在である植田及び藤善に対していやがらせをするとともに他の組合員に動揺を与えようとしたことにあるというべきである。
3 なお、高校訪問を担当することによって、昇給、昇格、給与等労働条件に特に有利となるものではなく、これを担当しなくても経済的に格別不利益となるものではないとしても、これまで高校訪問を担当していたのにその任を解かれるということは、短大内でそれにふさわしくないとの評価を受けることになり、その任を解かれず高校訪問を担当し続ける者とは差別されているという感じを本人に与えることとなるが、このような精神的不利益を伴う措置も、これを通じての組合に対する支配介入も可能であると解され、労働組合法七条一号の不利益な取扱に当たるというべきである。
4 以上によれば、高校訪問について本件命令の違法をいう原告の主張は理由がないというべきである。
四 支配介入発言について
証拠(<証拠略>)によれば、本件命令書第1の4(2)<1>、同<3>、同<5>(略)に事実が認められ、本件命令には原告主張の事実認定の違法はない。
五 主文の抽象性について
本件命令の主文一項後段、二項、三項だけを取り出してみると、法文の文言とほとんど同じものということができるが、救済命令は具体的事件の救済のために発せられるものであるから、理由をも合わせ読んで主文の意味を理解すべきであるところ、本件命令の理由によれば、主文一項後段は、団体交渉においては命令書第3の5(3)オで指摘されている対応、あるいはこれと同種又は類似の不誠実な対応をしてはならない趣旨、主文二項は、高校訪問の担当者を委嘱するについては、組合員であることを理由として、命令書第3の2(2)で指摘されている措置、あるいはこれと同種又は類似の不利益処分をしてはならない趣旨(なお、「組合員であることを理由として」の判断が困難であるとはいえない。)、主文三項については、命令書第3の3(2)アウオで指摘されている発言、あるいはこれと同種又は類似の発言をしてはならない趣旨であることは了解できるところであるから、本件命令をもって制裁の裏付けをもった法規を設定することに等しいということはできず、また命令の内容を理解することが困難であるともいえない。本件命令に原告主張の違法はない。
(裁判長裁判官 大石貢二 裁判官 山田賢 裁判官伊名波宏仁は、転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 大石貢二)